いつ死んでも良いと思っていたとある中学生の話
死んでも良いと思っていたとある中学生の話
私は中学生の頃いじめられていた。
「いじめ」の捉え方は人それぞれだと思う。
ただ、私はいじめられていたとハッキリ言えるぐらいにやられていた。
何故いきなりこんな暗い話をしたのかと言うと、この前赤ちゃんの頃から付き合いがある幼馴染とご飯に行った。
久しぶりで楽しかったのを覚えている。
しかし、彼女がこんなことを言った。
「私は中学生の頃貴方ともっと遊びたかった。
遊びに誘おうとしたが、貴方は私を避けていた」
びっくりした。
その言葉を言われた瞬間に頭が一瞬真っ白になった。
こんな私と遊びたいと思う人がいた事に。
第二次成長期の真っ只中で、女の子から女に変わる瞬間でもあったから「異性」には特に敏感だった。
幼馴染といえども、多少なり壁があった。
私の通っていた中学は自分で言うのも恥ずかしいが、かなりレベルが低かった。
全体的に見て下のはずなのに下同士が下同士で争っている。
嘘だと思われるかもしれないが、テッペン争いがあったぐらいガラが悪かった。
私の立ち位置と言えば、スクールカーストの最下層もいい所でゴミだめの泥水をすするような場所に存在していた。
何故、最下層に居たのかと言うと、発達支援の援助を受ける為に「支援学級」というところに通っていた。
「他の人と少し違う」という特異点を見つけて叩く。
古くからある日本人特有のやり方に沿ってやられていた。
「支援学級」に通う子ども全員例外なく。
私は当時家でも上手くいってなく学校でも居場所がない。
あの時は本当に死にたかった。
そんな絶望的な状況の中で優しくしてくれた人がいた。
同じいじめられっ子だった。
A子は妄想癖があって完全にラリってはいたが、それでも私に対して優しく接してくれた。
聞いた話なので本当かどうかは分からないが、A子はいじめの自作自演をしていたらしい。
A子も親とは上手くいっておらず、中々に家庭環境は学校共に荒れていた。
本当に今思えば類は友を呼ぶという言葉がそのままそっくり当てはまる。
あの時はあそこが唯一の救いだった。
あの場所・あの空間がなければ今の私は生きていない。
それぐらい私にとっては大事な場所だった。
A子の事は、小学校の時から好きな気持ちは少しあった。
だから、同じ中学校に入って少しだけだが嬉しかったのを覚えている。
お互いいじめられていた為、仲良くなるのに時間はかからなかった。
結局、A子とは学校を卒業する1週間だけ付き合ったがそれ以来連絡していない。
まぁ、完全に良いように利用されただけだ。
幼なじみは「私はあんたともっと一緒にいたかったし何なら救いたかった。でもあんたがA子ら辺とつるむようになってから、それさえも出来ない状況に自分から落ちていった。」と言われた。
それを言われて、イラッとはしたがそういった物事から見ていなかったので、助けよう・救いたいという観点から物事を客観的に見れたのはすごく良い意見になった。
しかし、「自分から落ちていった」という表現にどうしても納得がいかなかった。
周りの人間は全員等しく敵に映っていた。
それもそのはず、誰も助けてくれなかった。
私の記憶が正しければ、10年ぐらい前に西宮のバスケ部の部員の生徒1名が集団いじめに遭い自殺してしまったというニュースがTVで流れて以来、全てが変わった。
先生の価値基準で怪しいと思ったものはすぐに処罰された。
処罰と言っても口頭で注意するだけだが。
でも、それまでは何も無かった。
先生は見て見ぬふりをして、問題に触れようともしなかった。
でも、先生が介入したところでいじめが無くなる訳でもなく最後は集団無視というなの腫れ物扱いを触るような態度で扱われた。
本当に嫌だった。
できることなら皆んなと仲良くしたかったしクラスで運動会を楽しみたかった
でも、私にはそれができなかった。
そんな地獄みたいな3年間を過ごしてきてどうして、誰かが助けてくれるという考えになるのだろう。
不思議で仕方がない。
あの当時、私は誰も助けてくれないと思っていた。
誰も助けてくれないなら自分で強くなろうと決めていた。
ただ、強くなる方法が分からないから逃げて居心地のよい場所をただただ探すしか出来なかった。
私は弱い人間だ。
ここまで読んでくれた人は中々居ないのかもしれない。
今いじめを受けている人がいれば伝えたいことがある。
逃げてもいいから死ぬような真似だけはしないで欲しい。
あなたが死んだら、あなたの周りにいる人間がこれから生きていくのが永遠に続く地獄の苦しみから抜けられなくなってしまう。
あなたは死ぬだけだから、いいかもしれない。
一瞬痛い思いをするだけで死ねるからいいかもしれないが、残された方の家族はどうなる。
お父さん・お母さんはどうなる?
おばあちゃんは?おじいちゃんは?
今、私はお陰様で25歳になり、高校生の頃から夢だった、子どもと関わるような仕事に従事しているが、もし自分の子どもが私より先に死ぬとなれば、私はどんな手を使ってでも止める。
どうしても死にたいのであれば一緒に死ぬ。
それぐらいあなたはお父さん・お母さんにとって大切な存在になっているのだ。
自分の命に変えても守りたいと思えるようなそんな存在になっている。
その事をよくわかっていて欲しい。
どっちを選ぶ?
- 逃げるか
- 相手の心をへし折るまでやり返すか?
あなたならどっちを選ぶ???
私の選択は、逃げるを選んでしまった。
そのことをとても後悔している。
大人って意外とみんな寂しい
大人って寂しい 私は大人になれば何か変わると思っていた。 学生の頃、いじめを受けて何も希望がなかった。 家でも両親が顔を合わせる度に喧嘩しており、学校でも浮いた存在でどこにも居場所がなかった。 ただ、あったのは「大人になったら何か変わる。」「自由になれる」「今よりマシになれる」 漠然とした希望だけがあった。 24歳になり、社会的にはもう立派な大人だ。 学生の頃と比べると多少なりとも自由を手に入れてあの時よりかは楽しい人生を謳歌している。 ただ、やはり寂しい 寂しいという表現は合っているのか分からない。 ただ、ぽっかり心に穴が空いたような気分にさせられる。 人は何かに縛られている。 私の場合学生の頃は「クラスでの社会的地位の低さによる無力感」であった。 今は「街中を歩くカップルによる社会的孤立によって生み出された孤独感」 これを簡単に言えば「嫉妬」と「悔しさ」と「孤独感」だ。 何かに縛られているという感情は本当は何にも縛られていないのに、「縛られている」と思い込みをして、焦る感情が出てくる。 私の言いたいことが伝わるだろうか。 言葉や文章で表現するのが本当に難しい。 これは私の感想だが、ここ数年ネットが異常に発達してきており、他人の生活が丸見えになってきている。 キラキラした生活・若い年齢で社会的地位成功を掴みその権威を振りかざして異性を好きなようにする。 それを面白おかしくネットにあげ多くの人の目に触れて、社会的地位成功を掴んだ人の快楽を生む。 それを見た多くの人はどんな感情になるのか? 答えは簡単だ。 焦り 劣等感 自己肯定感の低下・損失。 何もいいことがない。 これを見ている人は少ないかもしれないが、私はそういったことはしたくないしするつもりも無い。 ただ、これを見ている人達に寄り添いたい。 寄り添って疲れを癒したい。 違うな。 癒したいのでは無く、自分もなにかやろうという気持ちにさせたい。 まだ私が若いうちに。 私も人間だ。 いつかは、歳をとってくたばる。 その前に、私が大好きな人を見守れるだけのお金と自分のやりたいことを思う存分にできるお金が手に入ればそれでいい。 その事柄をやりつつ見てくれている人とって「明日やってみよう」「私もやったらできるかしら」というような前向きな気持ちになって欲しい。 ここまで長くなってしまったが、結局何が言いたいのかと言うと「世の中くそだからやりたいことやってくたばろうぜ。」 簡単に言えば、結局はお金なのだ。 人々の心を操作してお金を生み出す 生み出させるという言い方の方が正しい。 この世の中、結局は金なのだ。 ただ、その他人の生活というのも極わずか1部を切り取ってさぞそれが日常であるかのように上手く見せているだけで、それが全てとは限らないし間違いなく全てではない。 しかし、主に視覚的情報だけで判断する生き物なので、それが全てだと錯覚する人が多い。 現にSNS疲れという言葉があるぐらいだ。 さらに日本人特有の「他人との比較」という最悪最低の特徴が相乗効果を起こし、「嫉妬」「虚栄心」と言ったくだらない感情になる。 こういった感情に囚われて人生を棒に振る人も少なくない。 私もその一員に過ぎない。
夢は夢で終わってしまった。19歳の夜。
私は本当はアーティストになりたかった。
志したきっかけは、忘れもしない2012年のレコード大賞AAAの「逢いたい理由」を見て雷に打たれたぐらい全身に衝撃が走ったのを今でも覚えている。
詳しく説明すると、AAAの宇野実彩子さんを見た時に「あ、この人と結婚するんだ」と直感した。
今となっては夢のまた夢の話だが、当時は本気で思っていた。
そこから、当時の私は考えた。
どうすれば宇野実彩子さんと直接お会い出来るか。
今みたいにYouTubeが流行っておらず、簡単に関われる機会が本当になかった。
会うとなれば、LIVEや握手会などのイベントでしかお会いすることができなかった。
今はYouTuberと芸能人が当たり前にコラボしている。 YouTuberと言っても、本物のYouTuberはほんのひと握りで殆どがYouTuber被れだ。
まぁ、この話しはまた今度にして話を戻そう。
当時のちっぽけな頭と考えをつくして出した答えが、「アーティストになる」という何とも今考えてみればすごく馬鹿な答えが出たと呆れてしまう。 ただ当時は本当に本気だった。
毎日お風呂場で1時間以上熱唱したり、親に塾に行くと嘘をついて、自転車を走らせながら歌ったりと歌える時間を見つけてはずっと歌っていた。 それくらい本気だった。
その時からちゃんと音楽というものをやっていればもしかしたら、今頃おしらさんみたいに大人気YouTuberになっていたかもしれない。
「〜かもしれない」系の話は大嫌いなのでこの話はよそう。
親には言えなかった。
思春期と言うこともあり、バチバチの反抗期だった。
「こんな事を言ったら絶対にバカにするに決まってる」と思っていた。
バカにされるくらいなら言わない方がマシだと自分の夢をひた隠しにして生きていた。
時はかなり過ぎ、大学2回生の頃、ちょうど19〜20歳の時、私に人生の転機と思われる出来事が起こった。
前々から芸能界というキラキラした場所には興味があり、何度かオーディションを受けていた。そんな時にとある事務所のオーディションに受かった。
そこの社長から「君はアーティストになれる素質を持っているかもしれない」と直接目を見て顔を見て言われた。
本当に嬉しかった。 ようやく夢が叶う。
夢への第1歩を踏み出せる。
何も考えないで、相手の言われるがまま契約書にサインした。
そこからが人生の転落への合図だった。
楽曲制作費と作曲代・4ヶ月のボイトレとダンスレッスン代こみこみで108万2468円 。
今考えると本当におかしな話だと思う。
ただ、当時は本当にバカだった為、物の価値や値段などがよく分かっていなかった。
7年越しにやりたい事ができるというただそれだけの喜びと嬉しさだけがあって、費用のことなんて全く眼中にもなかった。
実際始めてみると、全然出来なかった。
グループで行っていたが、本当に地獄だった。 自己肯定感がお亡くなりになっていたからなのか、大して上手くない人の歌声やダンスを見て、「あの人はできるのになんで自分は出来ないんだろう」と、いちいち落ち込んでいた。
大学の講義が終わってダンスレッスンに行こうとするが、どう考えても間に合わずた毎週金曜日17時30分のレッスンのみ10分遅刻する。
もちろん、授業でレッスンに遅れることはダンスレッスンの先生には伝えてはいたが、周りの目が本当に怖かった。
私を含め全員がライバルだったので本当にピリピリしていた。
何も会話が生まれない。
何を話していいのか分からない。 徐々に時間が経つにつれて、他の人達は仲良くしている。
自分も混ざりたいが、話を遠くで聞いている限り、全く知らないジャンルだったり話題で会話を楽しんでいる姿を見て「入る隙がない」と諦めてしまった。
結局、レッスンも2ヶ月で行かなくなり100万以上の借金だけが残った。
大学の授業が終われば夜中の12時まで即バイト。
借金返済に追われる日々。 何も楽しくなかった。
世間では華の大学生活や人生の黄金期と揶揄されているが、私は1人地獄を見ていた。
親にも借金のことなんて相談できなかったし言えなかった。
言えば殺されると思った。
そんなある日のこと、ついに親にバレた。
なんでバレたかと言うと、銀行にお金を入れ忘れ催促状が家に届いたのだ。
ヤバい殺されると思ってヒヤヒヤした。
だが、親が第一声に言った言葉が衝撃的だった
「あんた、大変だったね。大丈夫?」
私は耳を疑った。
何を言っているんだ、この人は。
私は学生という甘い身分でありながら親に内緒で100万円以上の借金をした身なのだ。
それを怒らずに、私の心配をしてくれる。
聞けば、親はもう私のやりたい事を知っていたのだ。
「貴方の事をずっと近くで見てきたから、貴方のやりたいことは何となく分かった。」
「大学進学の時に貴方の口から音楽ではなく全然違う道に行った時はびっくりしたけど、それもあなたのやりたい事だって言うのも分かったわ。」
「何年あなたのこと見てきたと思ってるの?」
自分の好きな事を家族に伝えるとすぐに否定してきた人だったのに。
やりたい事を遠回しに伝えるとすごい剣幕で拒絶してきた癖に。
こういう時に限って、優しい言葉かけるなよ。
私は涙が止まらなかった。
私の経験からこれを見ている人に伝えたい事は、結局のところ美味しい話はない。
何事もコツコツ日々積み上げていくしかないのだ。
大変だししんどいことの方が多い。
実際に、私自身こういう活動を始めたばかりなので、いつ限界が来るかもしれないし途端に辞めてしまうかもしれない。
ただ、何か目標や叶えたい夢があるのであれば絶対に諦めないで欲しい。
周りに「才能がない」「お前には無理だ」などと否定的な言葉を言われたとしても。
私は未だにあの時の夢が諦めきれないでいる。
だから、こうやって文章を通してでも活動しているのかもしれない。
拝啓、あの頃の自分へ。笑
どうも、学生のお弁当屋さんです
これから書く事は全て自分語りだ
見ている人にはつまらないと思う。
それは本当に申し訳ないと思っている。
しかし、ブログなんて本来そう言うものではないのか
つい先日、スパイダーマン No way Homeを見てきました。
映画自体はめちゃくちゃ面白かった。
アクションもあり、笑えるところもありでとっても満足の一本でした。
しかし、映画を見ていて思った事が、時の流れは本当に残酷だ。
ネタバレになってしまうので、作品の中身についてはあまり言えない。
1作目から約20年の時が経っている。
1作目の時私は4歳だった。
4歳だった時の記憶はほとんど覚えていない。
2作目の「アメイジングスパイダーマン」の時はよく覚えている。
当時、14歳で思春期真っ只中だった。
勿論、親とはうまくいかず学校でもうまくいかず虐められていた。
虐められていた時の経験はまた別で書くとして、とにかく全てがうまくいっていなかった。
やれば解決するであろう問題に全く立ち向かおうとせず、ずっと誰のせいにして問題から逃げてばかりいた。
10年後の自分を想像して絶対に好きな事でビックになって誰もが振り向くようなイケメ
ンになる!と同時に将来に対して大きな夢と少しの五松の不安の恐怖を抱えながら生きていたあの時代。
今考えると恥ずかしいような夢ばかり描いていた。
あれから10年が経ち映画も公開されて点だった作品が全部線につながり大きな成功を収めた作品に仕上がっていた。
それに比べて私はどうだ。
あの頃の夢の殆どが叶っておらず、増えていくのは夢ではなくどうしようもない現実と言う目を背けたくなるような不安と無情な後悔ばかりが押し寄せてくる。
夢だった一人暮らしや20歳超えても生きると言う目標は叶ってはいる。
しかし、大元の目標は全くといっていいほど叶っていない。
それに対しての努力もあまりしていない。
あの頃描いた目標や夢を実現するのは殆ど0に近いぐらい不可能に近い事だ。
だが、私は諦めていない。
私はやってもいないのに諦める人間が大嫌いだ。
本当に嫌いだ。
勿論、自分でも分かっている。
無茶な挑戦だし飽き性な性格なので、途中で他の事に興味を持って辞めてしまうかもしれない。
そんな事は分かっている。
それで何度同じ轍を踏んだ事だろう
ただ、どうしても諦めきれない事がある。
だからこれから、挑戦し続ける。
誰かにバカだと言われてもいい
大ホラ吹きだと言われても良い
これを見ている人に告ぐ。
一緒に頑張ろう。
焦らなくてもいいんだけど、どうしても色々と焦ってしまう自分がいる
どうも、皆様
お久しぶりです。
学生のお弁当屋さんです。
最後に記事を更新したのがいつか分からないぐらい書いていなかったです。
でも、こんな事はしょっちゅうある事なのでもう驚きはしません。
全く、記事が書けない現象ってあるよねぇ〜
ブログをやった事がある人なら分かると思いますが、会社の運営でやられている方は、会社に働いている人が書いてたりしますが、僕たち個人ブロガーは手を動かし続けなければそれまで。
全部自分次第。
しかも、書こうが書かまいが収入は0
全く、何のためにやっているか分からなくなってくる
もう、このブログを始めて約4年。
見てくれている人がいるのかどうかも分からない。
でも、まぁもうちょっと頑張ります。
ブログの愚痴はここまでにして。
最近、忙しいと言うほど忙しくはないが、気持ちがかなり焦っている
焦っているというよりかは、自分で忙しいと思うように錯覚しているだけか。
それとも、先の見えない不安に押しつぶされないように「忙しい」という言葉で片付けているだけなのか
僕の23年生きてきた人生経験上、この気持ちの感じ方は不味くはないけど、嫌なことから逃げてもいない。
ただ、シンプルにこれから先どうなるのかが楽しみであり心配な部分でもあるって感じ。
今ちょうど、車の免許の試験があって3回ほど受けていますが、全部ダメ
テスト自体は-10点までミスしていい感じのテストで全部で大体76問ぐらいあるんだけど
1回目:-19点
2回目:-16点
3回目:-15点
あともうちょっとって感じのところまではきてんのよ
あともうちょい頑張ればできるのよ
だから、今から明日のために頑張ってくるわ
文章のスタイルを変えてこんな感じでこれから投稿していくからよろしくお願いします。
じゃ、また明日ねぇ
お休み😪