自分の気持ちを言葉に出してみた

自分の思ってる事や感情だったりをうまく言葉に表現したくて、文章書くのは得意ではないですがやってみようと思います。

大人って意外とみんな寂しい

大人って寂しい 私は大人になれば何か変わると思っていた。 学生の頃、いじめを受けて何も希望がなかった。 家でも両親が顔を合わせる度に喧嘩しており、学校でも浮いた存在でどこにも居場所がなかった。 ただ、あったのは「大人になったら何か変わる。」「自由になれる」「今よりマシになれる」 漠然とした希望だけがあった。 24歳になり、社会的にはもう立派な大人だ。 学生の頃と比べると多少なりとも自由を手に入れてあの時よりかは楽しい人生を謳歌している。 ただ、やはり寂しい 寂しいという表現は合っているのか分からない。 ただ、ぽっかり心に穴が空いたような気分にさせられる。 人は何かに縛られている。 私の場合学生の頃は「クラスでの社会的地位の低さによる無力感」であった。 今は「街中を歩くカップルによる社会的孤立によって生み出された孤独感」 これを簡単に言えば「嫉妬」と「悔しさ」と「孤独感」だ。 何かに縛られているという感情は本当は何にも縛られていないのに、「縛られている」と思い込みをして、焦る感情が出てくる。 私の言いたいことが伝わるだろうか。 言葉や文章で表現するのが本当に難しい。 これは私の感想だが、ここ数年ネットが異常に発達してきており、他人の生活が丸見えになってきている。 キラキラした生活・若い年齢で社会的地位成功を掴みその権威を振りかざして異性を好きなようにする。 それを面白おかしくネットにあげ多くの人の目に触れて、社会的地位成功を掴んだ人の快楽を生む。 それを見た多くの人はどんな感情になるのか? 答えは簡単だ。 焦り 劣等感 自己肯定感の低下・損失。 何もいいことがない。 これを見ている人は少ないかもしれないが、私はそういったことはしたくないしするつもりも無い。 ただ、これを見ている人達に寄り添いたい。 寄り添って疲れを癒したい。 違うな。 癒したいのでは無く、自分もなにかやろうという気持ちにさせたい。 まだ私が若いうちに。 私も人間だ。 いつかは、歳をとってくたばる。 その前に、私が大好きな人を見守れるだけのお金と自分のやりたいことを思う存分にできるお金が手に入ればそれでいい。 その事柄をやりつつ見てくれている人とって「明日やってみよう」「私もやったらできるかしら」というような前向きな気持ちになって欲しい。 ここまで長くなってしまったが、結局何が言いたいのかと言うと「世の中くそだからやりたいことやってくたばろうぜ。」 簡単に言えば、結局はお金なのだ。 人々の心を操作してお金を生み出す 生み出させるという言い方の方が正しい。 この世の中、結局は金なのだ。 ただ、その他人の生活というのも極わずか1部を切り取ってさぞそれが日常であるかのように上手く見せているだけで、それが全てとは限らないし間違いなく全てではない。 しかし、主に視覚的情報だけで判断する生き物なので、それが全てだと錯覚する人が多い。 現にSNS疲れという言葉があるぐらいだ。 さらに日本人特有の「他人との比較」という最悪最低の特徴が相乗効果を起こし、「嫉妬」「虚栄心」と言ったくだらない感情になる。 こういった感情に囚われて人生を棒に振る人も少なくない。 私もその一員に過ぎない。